皆さま、こんにちは!
秋から冬へ!早いもので今年も残り1ヶ月半となりました。
お世話になったあのかたへ、
大切なあの方へ!
感謝の気持ちを込めて台湾もつ鍋をお送りするなんていうのも粋な贈り物かも知れません。
そんなご利用も仁は大切に承ります。
さて本日は皆さまお待ちかね(かは分かりませんが笑)、田中仁という男のお話の続きをしたいと思います。
15才で単身アルゼンチンへサッカー留学をした田中仁!
紆余曲折有りましたが、
なんと18才のころ、少年が夢にまで見たプロサッカー選手の道が切り開かれました。
突然、韓国のプロリーグより、
正式なオファーがかかったのです。
迷うことなんて何一つ有りません。
彼はすぐに韓国へ飛び立ち契約を結びました。
夢にまで見たプロサッカー選手、田中仁の誕生でした。
このままサッカー選手として、
一流になり沢山お金も稼いで、
皆さまがテレビやフィールドで目にするような名の知れたサッカー選手になれると18才の田中仁は漠然と考えていたといいます。
『そんなん甘いわぁ~!!!』
なんて声があちらこちらから聞こえます(笑)
まぁ、サッカーしか知らない18才の青年ですからね!致し方無いことかと思います。
『田中仁、有頂天MAX期!!!』
今振り替えったとき、
田中仁は笑ってこう呟きました。
ただ皆さまの案ずる通り。
そんなにプロの世界は甘くは有りません。
その日から2年後の寒い寒い冬でした。
20才になった青年はチームより
『戦力外通告』を放されました。
途方にくれた青年!
でも諦めたくなくない田中仁はトライアウトからあらゆる行動をして、もがきあがきサッカーにしがみつこうとしました。
でも、そんな彼を受け入れてくれるチームは一つも有りませんでした。
気力喪失。
寮に住んでいた青年は、
住むところもなく、
収入もなく……。
『プロサッカー選手』という肩書きをなくした彼から離れるものも少なくなかったといいます。。
日本へ帰りたい……。
毎日、自然と涙が溢れたそうです。
ただ、誰もが反対するなか、
彼を信じたった一人アルゼンチン留学の背中を押してくれた母親や、
プロになった時、自分のことのように喜んでくれた家族、友人の顔を想像すると、情けなくて彼は日本に帰国することが出来ませんでした。
20才の青年田中仁。
単身韓国でどうなっていくのでしょうか!
その続きはまた今度………